はじめに

2006年〜2011年、私はベトナムのハノイに赴任していた。ハノイはベトナム社会主義共和国の首都、人口830万人以上を抱える大都市である。

最近は、市のあちこちで開発が進み、わずか数年のうちに景色もずいぶん様変わりした。2021年にはベトナムで最初の電車がハノイの1区画でついに運行を開始した。か、と思えば、昔ながらの市場は今も変わらず活気で溢れ、「ノンラー」と呼ばれる三角の傘をかぶった女性が天秤棒を担いで行商をしている。さらに市の中心部へ行くと、フランス統治時代の建物が目の前に急に現れ、旧市街の街並みはレトロな風情を残す。

そんな、レトロと近代が混在するハノイの街から見えてくる、ベトナムの「今」について読者の皆様にご紹介したい。

南北で歴史や文化が異なるベトナム

ベトナムは南北に細長い国土を持ち、北部と南部で気候も人の気質も異なる。地図で見るとS字に湾曲した龍のような形をしている。

ベトナム最大の経済都市は南部のホーチミン、かつてのサイゴンである。南部には雨季と乾季があり、一年を通じて30度くらいの暑い天気が続くいわゆる南国の気候。一方、北部を代表する首都ハノイは、行政の中心地である。北部には四季があり、ハノイには冬がある。

ベトナムは南北で歴史が異なり、近代の歴史では北ベトナムが南ベトナムを支配した形になったため、南部サイゴンでは北部人に対して消極的な感情を抱いている人は今でも少なくない。ベトナム人の気質について、諸説あるが、一般的に南部の人は外交的で享楽的、北部人は勤勉で堅実であるなどと言われる。確かにハノイに長年住んでいると、そのように感じることもある。

世界遺産に指定されているタンロン遺跡。かつてここに都が置かれた
ハノイ名物の牛肉フォー
ハノイのバッチャン焼き店

豊かになったベトナム

数年前に比べてハノイには富裕層が確実に増えている。道路を行き交う自動車の数は最初にハノイに来た時に比べて圧倒的に増えた。ベトナム初の国産車 VinFast も多く見かけるが、大半は200万円以上する輸入車だ。数千万円する高級車もよく見かける。

ハノイでは交通渋滞が年々ひどくなっているが、その主たる原因は自動車が増えすぎたことだ。自動車が赤信号で道を塞ぎ、そこへバイクの洪水が流れ込んでくる。市内を移動するなら、確実にバイクの方が早く目的地に着けるのだが、あえて車に乗る。車は彼らにとって単なる移動手段ではなく、ステイタスシンボルなのだ。高級車を運転する自分に酔っている、そんな印象さえ受ける。

ハノイの富裕層はスマートシティに家やマンションを買い、豊かな暮らしをしている。独身の若い世代も月給の2倍以上もする最新型のiPhoneを当たり前のように持ち、自撮りに励む。ハノイは確実に豊かになっている。

増え続ける日本への出稼ぎ労働者

ハノイでは日本語が話せるベトナム人によく会う。ベトナムの日本語人材は今どき珍しくはなく、日本語学習者も多い。ベトナム政府は日本を重要なビジネスパートナーとみなし、日本語教育も盛んだ。ハノイの公立中学校では第二外国語として日本語が教えられている。大学で日本語学科を選考する学生も多い。

日本語コースを選択するハノイ市内の中学生。大人気の「コナン」や「鬼滅の刃」

さらに近年特に顕著なのは、日本への出稼ぎ労働者だ。彼らはいわゆる「技能実習」という名目のもと、農業や建設、金属加工や縫製業などに従事する。

技能実習のビザを得るには、まず本国の「送り出し機関」で日本語と日本式マナー教育を半年程度、みっちり教え込まれる。センターの寮は軍隊のような厳格なルールで統制され、朝5時半のラジオ体操から、晩の自習時間まで一日中、日本語漬けの環境にする。ハノイ市内にはそのような送り出し機関の日本語センターが大小合わせて900近くあると言われる。

ハノイ市内の送り出しセンターで日本へ行く準備をする技能実習生たち(2016年)

本来「技能実習」は、3年間の実習を経て、その技能を生かして自国に貢献するための制度だ。しかし実際のところ、日本で配属される中小企業では、本国で活かせるような技能らしい技能は学べず、単純な肉体労働をひたすら強いられる。

それでも、技能実習生たちにとって、それはあまり大きな問題ではない。とにかく3年間、我慢して働けば確実にまとまったお金が手に入る。ベトナム人労働者の平均月収が約4万円であることを考えると、その金額の価値がおわかりいただけると思う。

2000年代のベトナム人には、日本に対する憧れがまだあった。「経済の発展した日本で働きたい」「日本の素晴らしい技術を学びたい」日本はまだそんな風に見られていた。募集をかければ、ハノイ近郊の省から実習生候補がすぐに集まった。

しかし今では募集してもなかなか人が集まらないそうだ。国が豊かになってきたためか、最近では、建設業や縫製、介護などの業種は若い人から人気がない。低賃金かつ劣悪な労働環境に関する悪評が国中に知れ渡り、さらに追い打ちをかけるように円安が進み、送金できる額が大幅に目減りしている。つまり日本で働くメリットがないのだ。出稼ぎに行くのなら韓国や欧米の方が魅力がある。そのため特に北部から日本へ出稼ぎに行こうとする若者はほとんど集まらなくなった。

2023年現在、ハノイの送り出しセンターで学んでいる学生は、大半が中部出身者だ。ベトナム中部の省は地域的にまだまだ貧しく、建設業や縫製業など人気のない業種でもかろうじて人が集まる。しかしその多くが中年に差し掛かる年齢だ。すでに結婚して子供も大きくなっているが、それでも出稼ぎのために実習生候補として応募する。彼らの多くは勉強とはほとんど縁のない生活を送ってきたため、日本語もなかなか身に付かず、男性の腕には派手な刺青が施されている。刺青はかつてはNGで、面接の時点で弾かれていた。しかし今では目をつぶっている。とにかく人が足りない。実習生がきてくれないと経営が回らないと嘆く中小企業の経営者もいる。