すごーいですね、世界は。

近ごろ、日本はすごい、日本は世界から注目されている、などとやたらに言うテレビ番組が増えています。たしかに、日本が世界に誇れるところは少なくありません。しかし、日本が世界から学ばなければならないところは、さらに多いのです。こういう番組に影響されて、やたら自尊心を膨らませて謙虚さを失ってしまえば、井の中の蛙ばかりが増えて、日本は、世界に伍したカイゼン・進歩ができなくなってしまいます。大変気になる傾向だと思います。

そこで今回は、多くの日本人が下に見ている国の国民にも、平均的な日本人ではまず勝てない、できれば見習いたい優れた特質がある、という話を書きます。日本人だけがすごいのではなく、彼らもまたすごいのです。

インド人の「助け合い」行動

話はインドです。大きな国ですが、中国や東南アジア諸国と比べ経済発展度は低く、町を歩けば汚いところが目につくことも多いので、民度も低いと見られがちです。しかし、インド人にも、一般的な日本人は逆立ちしても勝てない良い特質があります。その一つが、困った時の「助け合い」です。

企業勤務時代、今から10年ちょっと前、筆者は、インドの合弁先に出向し、グジャラート州のバローダという街に1年暮らしました。現地語では、ヴァドーダラ。バローダは植民地時代の英語名ですが、今もバローダで通ります。

ムンバイ(旧ボンベイ)から北に360キロほど、飛行機で1時間です。人口は、今は200万人を超えているようですが、筆者が暮らした頃は150万人ほどの都市でした。勤務先は、バローダの街から車で1時間ほどのところにあり、毎日社用車で通勤していました。

大渋滞時の自主的交通整理

大都市なのに信号機がほとんどない街

バローダは空港もあり、地域の中心都市であるのに、当時は、街の道路には信号機がほとんどついていませんでした。イギリスの都市設計を見習って、街の中の主要な交差点の大多数がラウンドアバウトと称されるロータリー方式だったことが、その主要な理由でしたが、先進国の常識からは信号機がついていて当然なのに信号機がない交差点がやたらある街でした。また、信号機がついているのに、ふだんは信号機が暗いままで、ラッシュ時だけ信号機のスイッチを入れる、という事も行われていました。

信号機がほとんどなかったことの影響として、車の運転者が信号を守らないという悪癖も発生していました。筆者の社用車の運転手もその例に漏れず、交通量の少ないときに信号機のある交差点に来ると、赤信号を無視して進んでいました。そういう事情ですから、ラッシュ時だけ信号機のスイッチを入れる交差点では、運転者に信号を守らせるために、警察官が交差点に立って指示をしていました。何のための信号機か、さっぱりわからない話です。

ではロータリーではなく信号機もなく警察官も立たない交差点は、どうなるのか。同様の途上国の経験者なら、すぐお分かりになると思います。要するに、各車が勝手に自分の進路方向に突っ込んできて、恐ろしいカオス状態となるのです。インドの運転マナーの悪さと信号機がない交差点の存在は、日本人がインドで車を運転しない方がよい理由のひとつです。

バローダの信号のない、大幹線同士の交差点

交通量がものすごく多いのに、ロータリーではなく信号機もない交差点が、筆者の当時の通勤経路上に1か所ありました。空港の近くで、それぞれ片側2車線の大幹線道路同士が交わっていて、交通量、とくに大型トラックが非常に多い交差点でした。

左右計4車線のどの車線からも大型トラックが突っ込んできているのに、我が運転手も隣の車線の運転手も、平気で真正面に突っ込んでいきます。もちろん、直進車だけでなく右左折車もいます。だから、少しでも隙間があれば、そこを狙って、文字通りあらゆる方向から各車が突っ込みます。ひるむ方が負け、みたいな交差点です。後には立体交差化されてしまったぐらいですから、それだけ激しい交通量であったと言えます。こういう交差点を、出張に出ている日を除いては、毎朝毎夕、通らざるをえませんでした。

この交差点では、無秩序に各車が隙間を求めて勝手に突っ込む結果として、各車の位置関係が複雑に絡み合い、にっちもさっちも行かなくなって、全く動きが取れなくなってしまうことが、時々起りました。

にっちもさっちも行かなくなると登場する、自主的交通整理マン

マクラが長かったのですが、ここからが本題です。こうして全く動きが取れない状況になると必ず、その場で交通整理をして、また交差点を通行可能にしてくれる人が登場しました。そして、その人物は、警察官ではなく、大渋滞に巻き込まれた運転手のひとりなのです。だから、自主的交通整理マンと名付けます。

彼は、自分のトラックから降りると、状況を観察し、各車間の隙間がどれだけあるかを見ながら、各車に指示を出します。「お前、少し下がれ」、「お前は少し前に出ろ」。これを繰り返して、だんだん隙間を広げて行き、1台ずつ渋滞から抜け出させ、やがて渋滞を解消します。

動きが取れなくなるまでは、あれだけ好き勝手に隙間に突っ込んでいた各車の運転手なのですが、どうしようもない状況に陥ったことが明確になると、そこからは我を張らず、自主的交通整理マンの指示に従って、渋滞解消に協力を始めます。

こうした状況に遭遇するたびに、自主的交通整理マンが出現して、皆の共通問題を解決するように行動するところ、そしてそういう状況になったら皆、我を張るのを止めるところは、日本人にはなかなかできない、インド人の素晴らしい助け合い行動であるという印象を筆者は強く持ちました。

どうしようもなくなった時に自主的に助け合って解決を図るのが、インド人の良いところ、と言うのは分からないではない。しかし、その前に、放っておいたらにっちもさっちも行かなくなることは明白なのに好き勝手に突っ込むのが、そもそもの問題の原因ではないのか、と言われるのは、誠にごもっともな指摘です。

ただ、警察官による交通整理もないなら無秩序になるのはやむをえませんし、彼らが一般的な日本人に勝る自主助け合い行動ができる人々であることも、ぜひご理解いただきたいと思います。

ムンバイ大水害時の、水とビスケットの分け合い

ムンバイの記録的大水害

もっと純粋に素晴らしい助け合いといえる例を、もう一つ。筆者がインドに暮らした年、ムンバイで記録的な大水害が起りました。

その日、筆者はたまたま合弁先のインド側親会社との会議があり、バローダから日帰りの予定で、ムンバイに出張していました。その日の午後から雨が降り出したのですが、夕方会議が終わって、さあバローダに帰ろうと空港行きのタクシーに乗った時には、バケツひっくり返し状態の猛烈な豪雨になっていました。後から分かったことですが、その日は12時間で600mmを超える記録的な豪雨が降ったようであり、大都市でこんな猛烈な豪雨なら、日本でも洪水になって当たり前です。

筆者と同僚一人の二人で乗ったタクシーの走り出しは良かったのですが、降り続く豪雨の中を空港に向かって走っていると、道路が徐々に冠水状態になって、渋滞が始まります。それでも走っていると、空港に着く前に車が進まなくなってしまいました。先の方の水が深くなっていて前方の車が進めなくなり、結局後続車が全て動けなくなってしまったようです。

その頃にはすっかり夜になり、猛烈な雨は降り続いていたので、周囲を眺めても状況がよく分からず、どうなることかと思いましたが、たまたま我々の乗ったタクシーは、他の幹線道路をまたぐフライオーバー上で止まっていたので、これならどれだけ雨が降っても我々の車が水没することはない、と安心して、筆者は寝てしまいました。

ムンバイ大水害の日の報道写真
フライオーバーから下の道を見ると、
まさにこの写真のような状態でした。

翌朝、夜が明けて気づくと、我々のタクシーは昨夜止まった場所から全く動いていません。車から降りて周囲を見渡してみると、雨はやんでいましたが、周辺は完全に水没し、恐ろしい状況になっていました。我々が止まったのがフライオーバー上でなかったなら、死んでいたかもしれない状況です。インド人のもう一つの助け合い行動を体験したのが、この状況でした。

持っている水や食料をタダで配ってくれる人たち

車を離れていた我々のタクシーの運転手が戻ってくると、手にはミネラル・ウォーターのペットボトルが3本。タダで配布されたものだから代金は不要、といって、我々にも1本ずつくれました。足元を見て高い値段で売りつけられても不思議ない状況で、困っている人に無料配布が行われたようです。

すぐに、今度は2人のインド人が我々のタクシーのドアをノック、自分たちも止まってしまった車の1台だが、たまたま自分たちは食料を積んでいる、ほかの車は食料などないだろうと思い皆に分けているところだ、もちろん無料だ、といってビスケットの袋を人数分置いていってくれました。

必要があれば即座に動くインド人の素晴らしい助け合い行動に感銘を受けつつ、水とビスケットが手に入った、これで最悪2~3日ここから動けなくても生きていける、と安心して、筆者はタクシー車内でまた寝てしまいました。筆者の、インドでの忘れられない思い出です。なじみにくいかもしれませんが、良いところもいろいろある国です。