アメリカでアキレス腱を断裂した!
2023年11月、テニスの試合中にアキレス腱を断裂した。人生始めての大怪我、ましてや海外でとなり、なかなかの大事だったのだが、幸いにも助け・支えてくれる人が周りにたくさんいてくださったおかげで何とか乗り切ることができた。
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怪我をして真っ先に頭が浮かんだのが医療費だった。アメリカでは医療費がいくらになるかが分からず、怪我の云々より先にまずいくらかかるのだろうかということが心がかりだった。場合によっては日本に戻った方が合計で安いのではと考えるほどだった。
私の場合、在籍しているUniversity of North Carolina, Chapel Hillが運良くスポーツ医学に強い大学ということもあり、怪我してから一週間ですぐに手術を受けることができた。
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片足このようなごついブーツでも(右)約2ヵ月ぶりに自分の両足で立てたことが嬉しかった。 |
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結構やっかいなアメリカの医療制度
だが、そんなにうまくことが運ぶとも限らないのがアメリカの医療制度。そもそも医者との面談を取り付けるのにも時間がかかり、ましてや専門医にたどり着くまでに何人もの人を経由しないといけない。
実際、怪我した直後、緊急外来を2件はしごし、3時間ほど待たされた後、足の固定だけしてもらい、次の専門医の予約の空きは2週間後と言われた。時間がかかるのは加入している保険によって、かかれる医療機関が異なることも要因なのだろう。
その後、念の為、大学での学生向け医療センターを受診したのが功を奏し、トントン拍子で手術が決まった。それまでの動きが遅く、たらい回しにされている感が否めなかっただけに、急な展開と「明日手術の空きがあるけどやる?」というような軽い調子に面食らった。消極的に待っているだけだったらどうなっていたのだろうと思う。
同じく友人がボルダリングの落下事故で、しばらく松葉杖生活となった。手術をどうするか悩んだ時、同じく医者との予約がなかなか取れなかった彼女は、待つのではなく、すぐさま行動した。彼女のお母さんが歯医者だということもあり、ネットワークを最大限に使った。お母さんの同僚にお願いし、足のレントゲンを診てもらい、セカンドオピニオンをもらい、さらに評判の専門医を紹介してもらった。数日後には実家のフロリダに戻り、無事手術を受けることができた。日本でも同様にネットワークを最大限に使うことはあるのだろうが、アメリカではなぜかそれがより顕著に感じる。使えるものはとことん使う、自分の身は自分で守る、という精神が強いのかもしれない。
個人が積極的に行動することで状況を変えることができる国、アメリカ
つくづくアメリカは医療体系だけにとどまらず、どのシステムでも個人が積極的に行動することで何とでも変えることができると思い知らされる。もちろん要求が通らないこともあるが、言ったもの勝ち、行動したもの勝ちだなー、とつくづく思う話がゴロゴロとある。
例えば、日本人の先輩でアメリカ大学院に行った方の話がある。大学院プログラム在籍中にパートナーと離婚をし、これまで経済的に支えてもらっていたパートナーがいなくなったことにより収入源が一気に減った。これでは一人で生活していけないということで大学と交渉をし、もらっている奨学金の金額をあげてもらったということだった。
また別例で言えば、コロナ時、私はいつもであれば夏休み中に一時帰国をするのだが、見通しが不透明な上、大学側からもアメリカを出国した場合戻って来られなくなる可能性があるとの注意を受け、夏休み中に戻ることを一旦保留にし、様子を見ることにした。ウルグアイ人の友人は気にせず母国に戻り、結果秋学期に間に合わず戻ってこられなくなった。この場合、休学するか、授業料を自分で支払い、オンラインで授業を受けるかの二択であるはずだった。だが彼女は、「それはおかしい。戻れなくなってしまったのは自分の責任ではない。」と大学側と交渉し、結果授業料を負担してもらうことに成功した。
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多くの人に支えてもらって乗り切った2023年となった。年末年始はルームメイトと一緒におでんをし、コロナ以来、アメリカ2度目の年越しとなった。 |
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個人単位だけでなく、団体でも要求をまとめる国、アメリカ
自分であれば、それは仕方がないかと受け入れてしまいそうだが、そういかないのがアメリカ流。こういった要求をすることはもちろん個人単位だけでなく、団体でもよくあることだ。
例えば、私が所属する社会学科では、年に一度、学生と教員が集まり、どのように学科としてより改善することができるかの会合が開かれる。学科にもよるが、アメリカ大学院では基本的には大学側が授業料や生活費を負担することによって優秀な学生を確保している。基本全額、学生負担である日本と比べてしまうと、お金をもらっているだけでありがたい!と、どうしても考えてしまう。だが、アメリカの学生は違う。
この年に一度の会合に向け、事前に学生代表がアンケートを取り、学生側の意見を収集する。その際出た結果は、圧倒的に経済的支援の改善であった。その他にも、資格試験の執り行われ方や授業内容の改善、また就職支援サポートの必要性などその要求は多岐にわたる。会合ではそれらの学生側の要求に対して、教員が学科として今後どう対応するのか、対応が難しい問題は何か、代替案の可能性などを話し合う。日本であればそのようなことは制度で決められており、仕方がないことと諦められることかもしれない、と思いつつ、アメリカの学生の行動力とフットワークの軽さに感嘆する。
アメリカでは、個人がきちんと見張っていないとすぐに不手際が生じる
逆を言えば、このような要求の多さは、アメリカでは個人がきちんと見張っていないと、すぐに不手際が生じる、ということでもある。何かがおかしいと思ったら、すぐに声をあげないと「オッケー」と見なされ、そのままずるずると悪化していくことが多い。つまり、みんな最初から制度やサービスなどに対して期待をしていない分、事細かに受け手側がチェックすることが強いられる。
それに対して、日本ではどうだろう。当然今でも不十分にしろ、比較すれば、日本では、制度やサービスが細やかに行き届くことが多いように思う。日本にいると何事も安心して任せられる安堵感がある。制度やサービスに身を委ね、甘えられる。だからこそ、少しでも意にそぐわないことがあれば、過度なお客さんからのハラスメントに代表される「カスタマーハラスメント(カスハラ)」が起こるのかもしれない。
※ 本稿の筆者、村瀬里紗氏は、OBACの海外コラボレーターで、University of North Carolina, Chapel Hill, Department of Sociologyに在籍






