アメリカでの大学院生活4年目

アメリカ大学院のUniversity of North Carolina, Chapel Hill(UNC)の社会学専攻博士課程に在籍し始めて、4年目に入った。在籍している博士課程は、修了するまでに平均7年はかかり、ようやく折返し地点に立ったという感覚だ。

一般的の人からしてみれば30歳を超えて、まだ学生をやっているのか(実際、年末年始には親戚に何度も聞かれ、耳が痛い質問だった)、なんでそんなにかかるのか疑問なのだろうが、当のやっている本人だって聞きたい。

しかし、どう足掻いても、どう計算しても7年は確かにかかる。
● 1~2年目は平均週に本一冊分に該当する読み物を課せられる授業を最低3コマ取り(合計週に3冊)
● 3年目に修士論文の執筆
● 4年目からは資格試験の勉強
● 5年目以降は博士論文の執筆
と、年単位ではあるがやることが目白押しだ。学期が終わる毎にまた少しだけ生き延びることができた…、とほっとしては、大きな休みを前に逃げるように日本に戻るのが常だ。

そんな苦行アメリカ生活でも4年目にもなると、アメリカでもそれなりのコミュニティが出来、将来的に日本かアメリカ、どちらで生活しようか考えることがある。

夜な夜な続く友人宅での勉強会
同期みんなで集まってBoard Game Night☺

アメリカの資源の潤沢さ、それを惜しみなく使う躊躇のなさ

UNCが保有するバスケットボールコート。
資源の豊富さに圧倒されることがしばしば。

例えば、アメリカはやはり資源の潤沢さ、そしてそれを惜しみなく使うことに対する躊躇のなさに圧倒されることがある。

アメリカ大学院は基本的に学生受入時に、学生の生活を何年か保証する「生活保障パック」を提供する。私の場合、最初の3年は教授の授業補佐をするティーチング・アシスタントとして、そして4年目以降は自分自身の授業を担当することによって支払われる「お給料」という形で、年間$20,500が5年間保証された。

その上、日本と異なりユニーバサルヘルスケアと呼ばれる国によって全員の保険が保証される制度がないため、アメリカでは非常に高額に成りかねない健康保険も保証される。この「生活保障パック」があるからこそ、アメリカのみならず、世界各国から優秀な学生が集まる。

アメリカでの人間関係のフラットさ、研究の先進性、博士号の価値の高さ

理系の学生ともなると、その差は歴然とする。最先端の技術と設備で、良質な研究環境が提供され、まさに世界最先端の研究を行う土台が揃っている。私が知っている範囲内ではあるが、日本人の理系の学生はみな口を揃えて、「将来的にはアメリカに留まりたい」と言う。研究室内の人間関係がフラットなことで楽なことも影響があるようだが、やはり研究の先進性が大きいのだろう。頭脳流出とはこのことかと実感する。  

ほぼ生活が保証されずバイトしながら学生生活を継続する、もしくは自ら奨学金を獲得せざるを得ない日本の大学院生と比べれば、日本の高等研究機関は太刀打ちできないだろうと納得してしまう。

アメリカ社会は、Ph.D.(博士号)に対する理解も進んでおり、その価値も正当に評価される。実際に同じ博士課程に在籍している友人は入学前に仕事をしていたが、博士号なしでは当時勤めていた職場では昇格は期待できないということで、このプログラムに入ってきた。

日本は出身大学によって企業に判断されがちと言われるが、アメリカの場合は取得している学歴によって、そもそも申請できる職が決まる。ある意味で、アメリカの方が厳しい学歴社会なのかもしれない。一度博士号を取れば、職の選択も豊富だろうし、何よりフラットな人間関係は一度慣れてしまうと日本がとてつもなく息苦しく感じる。単純に物質的なことを含めて考えても、家は広いし、運動は断然アメリカに来てからの方がやっているし(テニス、ゴルフ、ランニングと運動三昧だ)、自然も多いのが魅力的だ。

アメリカでの個人間の競争の激しさ

空を遮るものが少ないため、夕焼けがきれい。

しかし、実際に自分がアメリカに住み続け、家族をここで築きたいか、となると少し躊躇してしまう。

アメリカは確かに魅力的だ。海外大学院を受験時には、憧れのアメリカであったが、今ではアメリカ社会はアメリカ社会なりの問題があるのだと実感し、単純に何事も「アメリカがいい!」とは意気込めない。

例えば、先程「苦行」のアメリカ生活と書いたが、なぜそれ程までに苦しかったのかの理由の一つとして、アメリカは個人主義的でかつ競争社会であるからだ。知ってはいたが、改めて生活して、実感してみると、アメリカに来てから競争に常にさらされることによって、常に何かに追われ、常に少し息切れをしているような気もする。

例えば、大学院での授業が始まった当初、毎週、読みきれない程の量の読み物を課せられ、途方に暮れている時もらったアドバイスが “Fake it till you make it” だった。「成功するまで、成功したフリをしろ」ということだ。初めて授業を担当する時にも同様のアドバイスをもらった。

日本のように基礎を懇切丁寧に教えてもらい、自信が出来た時点でいざ実戦!ではなく、いきなり実戦に放り込まれることの方が多く、その実戦もとりあえず「フリ」でどうにか乗り切ることを要求される。つまり、アメリカ社会では自信たっぷりにハッタリをかますことが必要なのだ。

それはある意味、アメリカでの競争を生き抜くために必要なスキルなのかもしれない。日本でも沢山の優秀な方々に出会う機会に恵まれたが、アメリカではその機会がより身近に、そしてより頻繁に起こる気がする。だからこそ、上にはどこまでも果てしなく上がいると実感する。上を見上げればきりがないからこそ、競争をし続けることに意義を見出すのだろう。

日本に帰るとほっとするのは、単純に母国だからなのか、それとも日本にはそこまでの「競争」が存在しないように思うからなのだろうか。どちらがより良いとは言い難い。

※ 本稿の筆者、村瀬里紗氏は、OBACの海外コラボレーターで、University of North Carolina, Chapel Hill, Department of Sociologyに在籍