メキシコからキューバに入国

コロナ発生以前の一昨年やっとキューバに行くことができた。筆者がメキシコに駐在していた時代、まだ共産主義華やかなりし頃、日本人がキューバに入るには本国外務省からの許可が必要であった。筆者は本社の命令で二度ほど出張のためにキューバ領事館に入国許可の申請をしたが、却下された経験がある。

キューバ入国前にメキシコで10日ほど仕事をした。メキシコ市から常夏のハバナ市までの飛行時間は約3時間である。ハバナ空港は国の玄関口?と思わせるほど閑散とした薄暗い古い建物である。室内の冷房はあまり効いていない。このあたりから何となく社会主義国の匂いがしてきた。入国審査は極めて簡単で審査官から何を質問されたかも全く記憶にない。

空港職員らしき人々がやたら目に付く。ぶらぶら歩きまわったり、お喋りに夢中で我々外国人旅行者には全く関心を示さない。さすが社会主義のお国柄!全く効率や採算無視「ノーンビリ!」である。驚いたことは女性職員達の大部分がスレンダーで大変な美人が多い。おそらく看板娘の役を果たしているのであろう。市中でも日本ならば売れっ子モデルになるほどの美人を多く見かけた。

到着の便数は少ないにもかかわらず、荷物受け取りまでに1時間余かかった。時々荷物コンベヤーが動いて、今度こそはと期待するが、すぐにストップする。なぜ作動させるのか分からない。乗客はあきらめ顔で文句も言わずキューバ美人を見ながら所在なく待つだけで「ノーンビリ!」である。   

やっとの思いで税関を通ると次は通貨購入である。交換所もこれまた「ノーンビリ!」。やむなくお客も列を作って「ノーンビリ!」と待つ。常夏の国なので怒ると体温が上昇する。「ノーンビリ!」はクーリングの一手段でもある。  

タクシーでハバナのホテルへ              

あとはタクシーでハバナ中心街のホテルまで。運転手たちもたむろしておしゃべりに多忙夢中である。お取り込みを中断させることにチョット気が引けたが、一人に声をかけハバナの街まで幾らか聞くと、30アメリカドルと言う。無論タクシーメーターはない、運賃は到着客数の需要と供給関係の相場と客の人相で決めるらしい。筆者の中南米旅行のお楽しみの一つはこの値切り交渉である。急ぐ旅でもないので、筆者、にこやかに「高すぎる。18ドル」と値切る。期待通りに、運転手「ノー」と言いながら諸々の交渉の結果、22ドルで両者合意。何故か話が盛り上がって運転手と”Vámonos!” とハイタッチ。筆者の長年の経験で値切り交渉は楽しく「ノーンビリ!」やる方に勝が付く。

ハバナ市での外国人向けホテルの設備やサービスは欧米並みだが、一泊200~300ドルはする。安価な民宿も数多くあると聞いていたが、朝食付きで一泊100ドルのホテルに投宿。日本のビジネスホテルの部屋のスペースを大きくしただけだが、十分な開放感はある。リゾート地のごとく一日中ホテルで過ごすわけではなく、寝るだけなので、これで充分である。ビュフェスタイルの朝食もメニューが豊富で味も決して悪くない。

ホテルは中心街より少し離れている。玄関先で客待ちをする運転手と早速値段交渉で15ドルのオッファーが来たが10ドルで交渉成立。運転手の交渉は「ノーンビリ!」だが、運転は「疾風怒濤!」めちゃくちゃハイスピードである。

キューバは、アメリカ製クラシックカーの宝庫

アメリカ人観光客待ちタクシー

キューバと言えばアメリカ製クラッシクカーの宝庫である。と言うよりそれしか存在しないと言っても過言ではない 。

車体の色は南国らしくド派手である。スプリングが伸びきっているためか乗り心地は決して良くない。シートはビニール張りされているので座席からずり落ちそうになる。かすかにガソリンの匂いが室内にも漂う。燃費が悪いことは百も承知。こんな車は石油輸入国では国庫の無駄使いと、人様の財布の中を心配するが、彼らは一向気にしていない。

運転手曰く、修理や保守は自分たちでやってしまうキューバ人はすごいだろう、と得意げである。現に修理や保守の専門の工場も存在する。

ハバナには毎日アメリカ人観光客を乗せた大型客船が寄港する。港の付近には観光客目当てに色とりどりのタクシーが整列駐車している風景は壮観である。アメリカとキューバの国際関係を知ってか知らずか、彼らは自国ではもはや目にしないノスタルジックなアメリカ製タクシーで無邪気に楽しげに何ら屈託もなく街に繰り出していく。

中心街は外国人観光客向けにきれいに整備され、お土産屋やレストランなどが林立する。しかし一歩外れるとキューバ華やかなりし頃の面影を残した建物が修理や保守もされず薄黒くたたずみ住居として使用されている。住民たちは玄関先に座り込んで「ノーンビリ」通行人の品定めをやっている。

キューバ革命の英雄、チェ・ゲバラ

筆者がキューバ訪問に憧れた一つはチェ・ゲバラである。アルゼンチン出身ながらキューバ革命の英雄であり、政権の指導者のひとりでもあり、そのカリスマ性は特に中南米の若者には現在でも圧倒的な人気がある。大学構内などにも彼の大きな写真が展示されていることがよくある。しかしこれは学生たちが革命を夢見るより、彼の理想主義に自分たちを重ね合わせたものであろう。

革命達成後のフィデル・カストロ統治の現実主義的社会主義に飽き足らず、国家最高指導者の一人としての地位を捨て、ユートピア的社会主義を地球上に実現すべくゲリラ活動を再開し、己の夢を果たすことなくボリビアの山中で露と消えた男である。

彼の表情を写真や映画などで数多く見てきたが、彼の顔は真正面を向いていても、その視線は常に30度上げて遥か彼方に何かを探し求めているように思えてならない。目線は現実を超越して遠く彼が理想とする”Algo bueno”(何か良きもの)を探し求めていることを物語っている。筆者は社会主義に100%共感する者ではないが、チェ・ゲバラが探し求めたであろう”Algo bueno”には共感する。主義主張は別にしても、それが彼が生きることを責務とした真の姿ではないかとも思う。

スペインの哲学者、オルテガ・イ・ガセットがその著「大衆の反逆」の中で「革命では、抽象概念が具体的なるものに反旗を翻そうとする」と述べている。チェ・ゲバラはキューバ革命が具体化した時、抽象概念である”Algo bueno”が見つけられず、すべてを捨てキューバを去ったのかもしれない。つまり彼は永遠の革命戦士であり続ける運命の星の下に生まれたに違いない。

ゲバラがカストロの前を進む

ハバナ市中でよく彼の肖像を見かけるが、フィデル・カストロ大統領も政府もチェ・ゲバラを革命の精神的指導者として特別に扱っているようである。それは革命博物館に展示されている革命時代の二人の立ち位置を見れば判明する。チェ・ゲバラに国家元首となったカストロが続くのである。

彼が地位も名誉も捨ててキューバを去った理由は明らかにされていない。通常革命途上で袂を分かって去った者は裏切り者として歴史から抹殺されるか、もしくは刺客により暗殺されるケースが多い。

しかし彼がキューバの永遠の英雄として、多くの人々に愛されている理由は、筆舌しがたい暗黙知的共感を呼ぶものがあるのであろう。

チェ・ゲバラ博物館と革命博物館

彼の住居が博物館として公開されている。ハバナ港の入り口の小高い丘の上で対岸にハバナ市が見渡せる良いロケーションである。しかしその住居は一国のリーダーたるべき男が住むには小さすぎ、また極めて質素である。恐らく物欲はあまりなく、”Algo Bueno”の悟りを開いて住んでいたのかもしれない。

案内役か監視役の制服姿の美人女性が数人いたが、こちらが話しかければ、陽気なキューバ娘精神でにこやかに弁舌さわやかに微に入り細に入り、チェ・ゲバラの偉大さを説明してくれる。さもなくば、例のごとく「ノーンビリ!」である。

革命博物館は街の中心街にある立派な建物である。アメリカ帝国主義と資本主義者に勝利した誇りを前面に押し出し、キューバ社会主義の成功の偉大さを誇示する雰囲気の中でさえ、大声で無邪気に英語をまくしたてるアメリカ人でにぎやかなこと。ごく普通のアメリカ人たちは国際的関係などには無関心者が多いとよく言われるが、納得できる。以前ベトナムのクチ村の戦争博物館でも、「我々がベトナム人に戦争で負けるなどありえない!」と大声で叫んでいたアメリカ人観光客がいたことを思い出した。日本のマスコミなどが例に挙げるアメリカ人とは、一部の特殊社会に属する人々と考えたほうが良い。

筆者が一番見たかったものの一つは、カストロ以下82名の革命戦士たちがメキシコのタンピコ港からキューバに向けて出港したクルーザー”Granma”(おばあちゃん)である。理由はかって何度もタンピコの港を訪れ、理想に燃えた勇士たちに想いを馳せたことがあるからである。

カストロのトヨタ車

しかし、残念なことに彼女は巨大な半曇り棺桶のごとき全面半曇りガラス張りの建物の中で展示され、数名の兵士が英雄の墓守のごとく「ノーンビリ!」と巡視していた。とても船全体を写真に収めることできず残念な気持ちであきらめた。“Granma”の名前は現在キューバ共産党新聞の名前として残り革命精神を象徴しインターネットで閲覧可能である。

おばあちゃんの横に灰色に塗装されたトヨタの ランドクルーザーが小粒ながら誇らしげに並んでいる。革命戦争中にフィデル・カストロが指令車として愛用していたと説明があった。この車が革命に一役買ってカストロを乗せて野山を走り周る光景を頭に描くと軽い興奮を覚え、また日本車の優秀さに改めて感心した。

おわりに

今回の旅行記が筆者の若い時代のノスタルジックな回想記となってしまったが、英国のある有名な作家が「人は若い時は社会主義者、年齢を重ねてもそのままならバカである」言ったような記憶がある。これを正しいとすれば筆者もバカの一人であろう。

社会主義国家キューバを嫌悪し多数の人々が故郷を捨てたこと、アメリカ政府にとっては喉元に刺さった小骨のごとく厄介な国であることも確かである。また国内政治でも社会主義の欠点が多く見られることも十分承知している。

しかし革命以前のキューバの歴史を齧り、また革命の進行をも見続けてきた筆者にとっては、強者の驕りが弱者の希望を失望に変え、窮鼠猫もかむ状態にまで追い込んだことで、カストロが革命を選択せざるを得なかったことも事実である。さらにその止む無き選択後に、シラーの詩を借りれば「友よこの調べにあらず、さらに良き調べを」と己が理想とする調べを求めて、志半ばで倒れたのがチェ・ゲバラであろう。

今年カストロ兄弟の統治が終了し、新たな指導者が任命された。彼がどのような「さらに良き調べ」を奏でるか「ノーンビリ!」見守って行きたい。以上