はじめに

ドバイが日本では今かなり脚光を浴びていると聞きます。

SMILE-UP(旧ジャニーズ事務所)SEZY ZONEが歌った、“バイバイDuバイ”という曲をご存知の方は是非聴かれるとその意味が分かるかと思います。検索サイトでもYouTubeでもすぐに出てきます。

ナンバーワン! あふれている
夢の国 僕の楽園、、、、、

ドバイ、それは国?都市?との問いが生まれますが、実際はUAE・アラブ首長国連邦 ドバイ首長国という名で、連邦国家UAEの中の一つでもある首長国です。そもそも首長国、なんぞや!?となりますが、簡単に言えばイスラム世界の君主が君臨する国という意味で。要は王様の国と言ったところです。

縁あって私はこの国での生活が母国日本に次いで2番目に長い9年もあり、最初に訪問したのは今から30年強前の1993年。2011年から2020年末まで企業時代に赴任していましたが、その変貌ぶりは、本当にスゴイと感じたものです。 

“ドバイの変わらない所、それはいつも変わり続けているところ“について、皆さんにお伝えできればと思います。御笑覧いただければ幸甚です。

ドバイのイメージはやはりコレから?

大本命、ブルジュカリファ 写真 左 
828メートルの高さは今も世界一高い高層ビル。
ドバイマリーナ 写真 上

2002年以降に開発された新しい街、今ではもはや老舗の街となっています。 当時住んでいたアパートからこの夜景は今も焼き付いています。
(写真 筆者撮影)

 

アラブ首長国連邦とドバイ –

そんなにいろんな首長国が?

歴史的には紀元前2500年頃に始まるようですが、今のこの地域はやはり二度の世界大戦から大きく影響を受けています。

第二次大戦のあとイギリスの保護領となっていたこの辺りが新しく国家を形成するようになったのは、なんと日本では大阪万博が開催された1970年の翌年、1971年です。個人的には自分よりも10歳も若い国が今こうしたキラキラ国になっている事は、本当に不思議でもありスゴイと感じます。

かつては真珠の養殖と漁業で生計を立てていたところが、日本の真珠養殖に駆逐されていたくらいです。当時は、この辺りはまさに部族による支配で、日本だとかつて戦国武将が国を治めていたのと似ています。

2022年のWカップサッカー開催でおなじみのカタールや、2004年からのF1グランプリでもおなじみになったバーレン等も、実はアラブの首長国ですが、一緒にやりましょうと協議をしていた中でその2国は先に独立し、結果残った7つの部族・首長国が最終的に一緒になって、今のアラブ首長国連邦UAEとなっています。

その7つの中でとりわけ有名なのが、このドバイとUAEの首都であるアブダビです。 他の首長国の説明は割愛させていただきますが、首長国名としてシャルジャ、アジュマン、ラスアルカイマ、フジャイラ、ウンムアルクワインです。

世間一般的には知名度では圧倒的にドバイは有名ですが、首都・アブダビ、この街のイメージはドバイのそれとは異なります。 UAEの人口は現在1000万人程度ですが、そもそもそのうち自国民はわずか15%程度ですので、実際この国は外国人でもっている国と言えます。 

また国家予算、日本は107兆円に対して24兆円、国民一人当たりをざっと計算するだけでそのお金持ちぶりが分かります。やはり、圧倒的に大きいのが油の力であり、油はほとんどアブダビ首長国で採れるので、国家予算も8割がアブダビ、残り1割ドバイ、あとその他となっているようです。

こちら、ドバイではなくアラブ首長国連邦の首都、アブダビの写真。
知名度では一般的にドバイに先行を許しているかと思われますが、その派手さはやはりすごいものです。
まさにココこそ、オイルマネーが溢れ出ると言っても良いかもしれません。 F1グランプリもアブダビでも開催ですが、一方でカーボンニュートラルの世界にいち早く着目し、再エネ社会への投資へもまい進しています。 
ドバイだけでなくアブダビでも高層ビル群がニョキニョキと林立しています。‐ 写真 左
世界一横に長いホテルと言われるエミレーツパレスのカフェの金粉カプチーノ。 まさに、アラブの香り。‐ 写真  中
アブダビ行くなら、このシェイクザイードグランドモスクは外せません。 10トンと言われるスワロフスキーのシャンデリア、世界最大のペルシャ絨毯は見ものです。‐ 写真 右 (すべて筆者撮影)

これぞドバイな光景 – いい時ばかりじゃない時期を経て

頭からナンバーワンなドバイについて触れてきましたが、なぜそこまでこだわるのでしょうか? 

そもそも何がナンバーワン・世界一かと聞かれると、数多有り過ぎて困るくらいです。ざっと言って、世界一な最高層ビル(ブルジュカリファ)、最高層アパート(プリンセスタワー)、大観覧車(アインドバイ)、ギネスにも載っている指輪(人間よりデカい)、最大人工島(パームジュメイラ)、最長無人メトロ、最大ファウンティンショー(高さ50mに達する噴水)、世界唯一七つ星ホテル等など。 

それ以外にもドバイ・ポリスは、フェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーがパトカーで。 

勿論、このような超華やか世界のドバイですが、かつては漁師町で真珠の養殖くらいしか産業の無かったところです。 そこで政策的に、いつか油は枯渇するという事を前提で、それに代わる何かをという事で、世界の物流のハブを目指してジュベリアリフリーゾーンという保税区を作り、世界の船はココに荷物を下ろして交易を推進することを手掛けたことに始まります。それが1985年。 

その次に、海が出来たら空という事で、今では超豪華フライトで有名なエミレーツ航空(ファーストクラスには、シャワー室がついています)ができ、空港が整備されて、そこにも(空港)保税区がつくられたことで世界の人、モノが行き交う街となり、そこにはお金が必ずついてきた訳で、月日が流れて今の様なドバイに変貌を遂げていきました。

一方、途中で大きな経済的な金融危機に見舞われたドバイショックが2009年。 政府系デベロッパーの借入金返済遅延、金満な街が一気に信頼を失って金満成金たちは夜逃げ(国外逃亡)し、ドバイ空港には夜逃げした人達のフェラーリ、ポルシェ、ランボルギーニ、ロールスロイスなど超々高級車が乗り捨てられていたのは有名な話です。

しかし、そんな時に神はドバイを見捨てませんでした。というかUAEで長男格のアブダビ、ドバイが負っていた債務を肩代わりし全部帳消しにしてしまうというまさに神業を。 

そして翌年、完成した世界一の建物ブルジュカリファ、もともと名前は“ブルジュドバイ”(つまり、ドバイタワー)と呼ばれ、街の道路標識もそのように書かれていたものが、完成式典でドバイ首長が発したのは、このタワーの完成を機に名前は“ブルジュカリファ”へと命名との言葉。ドバイの最大の苦境を救ってくれたアブダビの首長の名前カリファを命名したのです。 これぞまさに鶴の一声ならぬ、王様の一声です。 

世界一豪華と言われるスタバ 写真 左 と 七つ星ホテル バージアルアラブ  写真 右 筆者撮影

まとめられないアレもコレもなドバイ

クレージーと言われるような発展を紆余曲折を経て遂げてきているドバイですが、世界中を震え上がらせたパンデミック、コロナ禍。あの時は全くと言っていいくらい都市機能も停止し、私もロックダウンを経験することになりました。

完全に外出禁止のロックダウン、どうしても避けられない食料品の買い物、病気の通院等は事前のアプリでの許可制、街中のありとあらゆるところにある監視カメラから違反などもモニターされ、破った場合の罰金は軽くウン十万円を超えていた記憶が、マスクをしていない罰金で3万円(今の為替だと4万円)以上であった記憶が…。

また一年遅れで開催となったドバイ万博EXPO2020、翌21年10月からの開催となった訳ですが、当時コロナ禍で日本での東京オリンピックは基本無観客での対応であったところ、コロナに関する対処をしつつで、なんと最終的には約2410万人もの来場者を記録したのです。当初目標の2500万人には届かずではありましたが、それでもこの数字ある意味で神業と思うほどです。

やはりそうしたドバイのやり方や、スピーディな決断、行動力、さすがドバイ、やはりドバイと感じます。きっとこれからも変わり続けるドバイに目が離せません。是非読者の皆さんにも一度訪問いただきたいところです。 

ドバイ・アブダビ間の大動脈高速道路に突然現れたラクダたち。 今や、人口雨で洪水もよく発生しています。 (筆者撮影)

超高層摩天楼ビル群に向かって打つゴルフ@エミレーツゴルフクラブ、は圧巻です。前方には世界一高層階なアパートのプリンセスタワー、100階越え。個人的には低層階での居住がお勧めです。たまに発生するエレベーター停止、とても100階から降りたり、登ったりはできません。(筆者撮影)