チェンナイへ – 3年間の頻繁な出張と3年間の駐在

私はインドのチェンナイにある総合商社と自動車部品メーカーの合弁会社に2011から3年間駐在しました。元々合弁会社の企画を含めてインド駐在の前3年間も本当に頻繁にインドへ出張し合計6年間ほとんどインドでした。

チェンナイはインド大陸の南東でベンガル湾に面しているタミールナド州の州都です。

古代は都市国家、港湾都市として、中小の王国が乱立した地域ですが、16世紀にポルトガルが要塞を建設、そしてフランスと英国が争奪戦を争った結果、英国が勝利し英領の東インド会社の重要軍港となり、軍港要塞を中心にマドラスという名前で呼ばれて、ファッション用語で使うマドラスチェックの語源となった港町でした。香港・日本への中継貿易の地点として栄えた人口7百万の大都市です。

近年は、フォード、現代、BMWそして日産がインド市場の製造拠点として工場を作り、インドのデトロイトとも呼ばれる自動車産業の街として、日系、米系、韓国系の自動車部品メーカーも多数進出し、高速道路、地下鉄のインフラ整備も進み、目を見張るような急速な発展を遂げています。

私は、そんな自動車産業のど真ん中で自動車部品工場の運営に関わりました。

元々農業しかなかった田園地帯に大型の工業団地が林立し、縄文時代を思わせる藁ぶきの小屋に住み水田耕作をする農民たちとチェンナイの都市部から何百台という大型バスに分乗し通勤してくる数万人の自動車産業工員さんたち。

本当に縄文時代の農村と昭和の高度経済成長期が混在し、それを平成の私が傍観するというとても不思議な空間に紛れ込み、大渋滞を朝夕各2時間乗り越え、朝工場の500人のインド人と英語のNHKラジオ体操のCDから始まる毎日を送っていました。

インド生活の楽しみは、カレーとワイン

そんな私の楽しみは実はカレーとワインでした。

元はスパイス嫌いだった私

岐阜の山奥の出身でスパイスとは縁遠く、そば、うどんにも七味も入れずに食べるような、単調な味覚の私でした。若い頃駐在したお隣のバングラデッシュでは、カレーが嫌いで、当時は同行してくれた家内と家内の教えたコックさんのつくる和食ばかり食べていました。 

当時のバングラ人のコックからは、どうしてそんな薄味を毎日飽きずに食べられるのか、本当に貧しい味覚だ、我々バングラ人は、毎日スパイスが異なり七色の味を毎日楽しんでいる。醤油の味覚しかしらない日本人は食味が貧しく、可愛そうだと言われたことがありました。 

カレー漬けのインドで、カレーの深い味わいを知る

そんな私でしたが、インド大陸2度目、このインドプロジェクトは単身赴任、カミさんの日本食スペシャルはなく、工場に出向した日本人出向者の寮を作り、どこかの日本人奥さんに仕込まれたというインド人おばちゃんを雇い、なんちゃって日本食を寮食として出すように手配するのが精いっぱい、昼の工場の食堂も含めてメインはカレー主体の生活となりました。 

ところが慣れるに従い、確かに色々なスパイス、社員食堂でさえ毎日異なる深い味わい、とても多様性のある味わいにしびれるようになってきました。

カレーの材料的には、ビーフはヒンズー教の手前、ポークはモスレムの手前ほとんどご縁はありませんでしたが、チェンナイには大きなロブスター、大海老、ラム、マトンなどの高級食材を使ったカレーを出す店があり、欧州で味わったフレンチの三ツ星も真っ青の絶品で、仲間とはマハラジャレストランと呼んでいた高級レストランも存在しました。

インドのカレーには、インド製の赤ワインが最高

カレーには冷えたキングフィッシャーという地ビールが定番でしたが、実は、インド製の赤ワインがカレーのスパイスとのマッチングは最高ということにあるところで気付きました。マリアージュというかその融合はえも言われぬとてもリッチな味わいでした。今日はそのあたりのお話をもう少し記載したいと思います。

インドカレーと言っても地域によって種類は様々ですが、チキンマサラに代表されるような様々なスパイスを使った複雑で濃厚なスパイシーなカレーには、ふくよかな果実味のある赤ワインがとてもよく合います。タンニンの強い果実味が濃縮された赤ワインが刺激を包み込んでくれます。

ラムやマトン等のクセのあるお肉のカレーの場合は、果実味に加えて、エキゾチックなスパイシーさを持つインドワインとのマリアージュは最高で本当にマハラジャ気分、夢見心地にしてくれます。

一番飲んだワインはスラ・ヴィンヤーズ – 世界のワインのプロが絶賛

インドで一番飲んだワインは、スラ・ヴィンヤーズ Sula Vineyards、これは、実は、「21世紀の大国、インドの衝撃!」と欧米でコマーシャルされて、今、世界のワインのプロが絶賛しているワインです。

欧米の生産者のみならずチリ、アルゼンチン、南ア、豪州、NZの生産者にも衝撃を与えた「もの凄いワイン」。フランスの三ツ星レストラン、アラン・デュカスの店でオンリストされたり、イタリアの業界で有名なガイヤが自身のルートで輸入販売している「未知なる国のワイン」と言われています。

ヨーロッパで認められ、本場のマーケットで実際に販売され爆発的に売れているアジアで唯一のワインで、世界ソムリエ・コンクール優勝者ラリー・ストーンも惚れ込んだと言われるインドワインがこのSulaでした。

スラ・ワインの歴史

Sulaの創業者は,米国スタンフォード大学を卒業後,シリコン・バレーで敏腕ファイナンシャル・マネージャーとして活躍していたラジーブ・サマントが、故郷のインドに戻り,1997年に創設したスラ・ヴィンヤーズのワインです。インドから古くからのワイン消費国に輸出され,伝統的なマーケットで大センセーションを巻き起こしていると聞いています。

時差12時間、昼夜逆転、英語のできる安いプログラマー、高いコンピューター能力を利用したITソフト共同開発ビジネス、自動車設計に欠かせないCAD設計ワークの連携ビジネスコネクションなどで、日本ではあまり知られていませんが、米印の連携は米国の業界では近年有名です。

ワイン栽培技術も、カリフォルニアのNAPAに代表される先端国米国の技術をしっかり導入しました。インドは、元々日本からの帰途ザビエルが死んだ地として有名ですが、キリスト教の伝来と共に中世からワイン造りはあったものの、近年は栽培技術が目まぐるしく革新され、超一流の味を実現しています。

Sulaのラ・ヴィンヤーズは,私のいたチェンナイとはインド大陸の反対側のアラビア湾に面したインド西部の大都市ムンバイ(ボンベイ)から180キロ北東に離れたナシクの町に位置しています。

ここは海抜610メートルの高地にあるため,スペインやカリフォルニアに似た気候を享受し,ブドウ栽培にうってつけの土壌が広がっています。地質調査でこれに気付いたラジーブ・サマントは,カリフォルニアのソノマの著名なワイン・コンサルタント,ケリー・ダムスキーをワイナリーのコンサルタントに招聘。1997年にソーヴィニヨン・ブランとシュナン・ブランを植樹,2000年に初めてのワインが誕生しました。世界を震撼させるインド・ワイン造りへの挑戦は,まさにここから始まったのでした。

「ワインは畑から・・・」という哲学を持つダムスキー氏の指導の下,現在では,シュナン・ブラン,ソーヴィニヨン・ブラン,ジンファンデル,カベルネ・ソーヴィニヨン,メルロー,シラーといった品種が,環境保全型農業,堆肥の使用など有機的アプローチで栽培しています。また,インドで初めてワイナリーに空調システムを導入するなど,醸造・熟成も近代的な方法で万全の管理で行われていて、各地での称賛はまぐれではないことが理解できます。

Sulaワインと多様なスパイスのコンビネーション、とてもリッチな三ツ星ディナーです。ガーリック・バターナンあたりと併せてもうお腹一杯。

おわりに – 帰国後に見つけた意外に身近なインド料理店

私の西遊記、幸せの極致。西方浄土、天竺での極楽生活でした。普通の日本人はあまりご存じない、とてもリッチで贅沢な世界をご紹介させていただきました。

残念ながら日本、特に東京のインド料理店は、銀座、赤坂で文字通り高級店で、とても簡単に手が出ません。

不思議なのは、今住んでいる岐阜、東美濃の田舎で、ゴルフ場にインド人シェフがいたり、近所のお姉さんが喫茶店を改造して本格的なスパイスを使用して本格的なインド料理専門店を作ったり、意外に身近に美味しいカレーを発見する今日この頃です。是非インドから世界で称賛されるSulaワインを持ち帰りこの人たちのカレーと合わせて楽しみたいと思っています。