<はじめに>
私の人生の中で過ごした7年間の海外赴任生活は、貴重な人生の一コマとなりました。2007年12月から2015年1月までマレーシアで過ごしました。
最初の1年半は家族帯同でしたが、残りの5年半は単身生活となりました。家族が1年半で帰国したのは、当時、アセアンではやり始めた鳥インフルエンザ感染症からの避難の為でした。又、同時期に、会社の方針で私の所属する事業の撤退に伴う工場閉鎖が実施されました。公私ともに当初思い描いたマレーシア生活とは、かけ離れたものとなりました。
そんな中でも、慰められたのは、マレーシアの南国ならではの明るい風物詩であったと思います。今回の寄稿にあたり、一人の日本人が触れ、慰めとなった風物詩のいくつかをご紹介できればと思い、筆を執った次第です。
<クアラルンプールでの思い出>
*バナナリーフ*

突然ですが、バナナリーフとの出会いは、大変面白いと思いました。クアラルンプールにあるインドレストランに知人に連れて行ってもらいました。そのレストランには、食器はなく、バナナの葉っぱ一枚に、ライスを盛り、カレーを掛けて、手で食べます。
食器を使わずに手で食べるのは何とも心地よく、おいしさも倍増です。マレーシアの1人暮らしの寂しさも吹き飛んでしまいました。
*錫製品*

本誌の読者は、陶磁器(食器)のメーカーの皆様と伺っておりますが、マレーシアの錫製品をご存じでしょうか?私も良く、灰皿やマグカップなどをお土産として購入しました。
ロイヤルセランゴールは有名で、私も工場見学をしたことがあります。又、製作を体験できるなど楽しい思い出作りができる場所です。
*マレーシアのタイ人*
私のマレーシア時代の最大の財産は、尊敬すべき友人に出会えたことです。その友人は、マレーシア国籍を有するタイ人です。先祖は、元々、タイ国籍を有するタイ人でしたが、タイとマレーシアの国境が変更された時点で、祖先はマレーシアに編入されたそうです。

その友人は、マレーシア国内にあるタイの寺院で僧侶として修業し、還俗して大学に入り直し、大使館勤務を経て、現在はタイレストランを経営しております。その友人には、公私ともに助けられ、様々なことを相談しました。
私が、日本へ帰任する時、タイとマレーシアの国境沿いの町に旅行し、野生の豚のハンティングを見学したことを今でも良い思い出として覚えております。右記友人のタイレストランでは、スパイスの効いたトムヤンクンやグリーンカレーでビールを飲んだことで大分リラックスしたことを覚えております。
*フエリー*

私は、ペナン島に行くときには、殆ど橋を使わずに、フエリーを使いました、このフエリーは、車両ごと運んでくれるので、大変便利でした。乗船時間は、僅か20分程度ですが、爽快な潮風が心地よく、旅情を誘います。短時間の船旅ですが、南国の観光地気分が、仕事に向かう緊張感を解し、開放感で我を忘れるほどでした。
<イポーでの思い出>
*イポー駅*

私は、鉄道の旅が好きでした。その為、クアラルンプールからイポーまで約2時間の鉄道の一人旅を偶に致しました。鉄道の車内では、マレー人の親子連れなど、身近に一つの空間でマレー人に触れることが出来、なんとも心が和み、慰めになりました。
イポー駅は、英国統治時代の風情を残しております。私は、イポー駅構内にある喫茶店が好きで、よく珈琲を飲んで、タイムスリップし、英国統治時代のイポーに思いを馳せておりました。
*チキンライス*

イポーでのもう一つの楽しみはチキンライスともやしです。イポー駅から歩いて20分ほどだったと思いますが、上述の友人と連れ立ってよく食べに行きました。
チキンはもちろん美味しいのですが、極太もやしとタレが絶品です。私は、このレストランに10回以上通いましたが、常連は、チキンのレバーを頼んでおり、私も好んで食べておりました。日本に帰ってきた今でも、もう一度行ってみたい、食べてみたい味です。
<レダン島での思い出>

マレーシア最大の思い出は、家族旅行しましたレダン島です。この島の名前は、日本でご存じの方は少ないと思います。マレーシア東海岸にある小さな島です。
しかし、この島こそこの最後の楽園と言っても過言ではありません。日本から直接行くことが出来ず、クアラルンプール付近にあるスバン空港(国内線)に乗り換える必要があります。
家内曰く、今まで訪問した沖縄、ハワイ、レダンの中で一番、海がきれいでリラックスできたのは、ダントツでレダン島とのコメントでした。私も、全く同感でした。単身生活を始めてもう一度訪問したいと思いましたが、タイミングを逸してしまいました。コロナが一段落しましたら、いつか家内ともう一度訪問したいと思います。
<結びにかえて>
7年間のマレーシア駐在生活でしたが、学びも多くありました。
私が好きな言葉で『楽観』があります。 マレーシアの人々は、多民族や政治情勢等様々な軋轢を自らの強い意志、即ち『楽観』で超えてこられてきたのではと感じております。
マレーシアからの帰任時に一枚の絵画を買いました。ランカウイ島の浜辺の絵です。この絵を見て、自分が悲観しそうな時こそ、マレーシアで学んだ強い意志『楽観』を思い出しております。
